皆様こんにちは。リラ吉です。
スティーブ・ジョブズは生前、座禅を組み、禅の考えを好んでいたことが知られています。
その為、アップルの製品には禅の精神が詰まっているといわれています。
そんなジョブズが愛読していた禅に関する本が鈴木俊隆さんの「禅マインド ビギナーズ・マインド」です。
今回の記事ではこの「禅マインド ビギナーズ・マインド」をご紹介します。
目次
内容の一部要約
姿勢
座禅の姿勢は左足を右のももの上、右足を左のももの上に置きます。こう置くことで、右足、左足が一つになり、二つでも一つでもないという「二元」性の「一者」性を表しています。
これは大事な教えで、例えば心と身体は一つと言いますが、心と身体は別物です。しかし、二つであるかと言うと、それも違います。心と身体は二つでありながら、一つなのです。
背筋を伸ばし、顎を引き、正しい姿勢を取ることが修行の目的です。この姿勢をとる時、心が正しい状態にあります。
この正しい姿勢を取るというのは座禅の時だけではなく、日常でも正しい姿勢をします。逆に正しくない姿勢でも試してみてください。正しい姿勢を保つということがどんなに大事かわかります。
呼吸
座禅をする時には呼吸に従います。
息を吸うと空気は身体の中の世界に入ってきます。吐くときは外の世界に出ていきます。しかし、この二つは実際には喉という回転扉があるだけの一つの全体の世界です。
自分を意識せず、息の動きだけについていけるように、心が純粋で、落ち着いていれば、そこには私も世界も、心もありません。ただ回転扉(喉)があるだけです。
私たちはその時すべきことをするだけです。座禅では呼吸の動きに気付き、回転扉になり、座って息に集中する。これが禅の修行なのです。
コントロール
周りの人々をコントロールしようとしても出来ません。
一番いいのは好きなようにさせることです。この時、みんなは広い意味ではコントロールされています。
羊や牛をコントロールするには、広々とした、余裕のある草地に放すことです。人についても同じことが言えて、好きなようにさせておいて、そして見守るのです。
自分自身をコントロールする時、同じ方法が役立ちます。
座禅をしていて、落ち着きを得たいなら、心を横切るイメージに邪魔されないようにします。イメージは起こっては消え、起こっては消えます。これをありのままに見つめて、そのまましておくのです。そうすればコントロールできます。
しかし、これは簡単ではなく、努力が必要です。たった一つ皆様の助けになる努力は自分の呼吸を数えること、あるいは吸うことや吐くことに集中することです。
心の波
座禅をする時、思考を止めようとしてはいけません。止めようとするのではなく、止まるがままにさせます。
心に何かが起きたら、入ってこさせ、出ていかせます。どんなものも長くはとどまりません。
思考を止めようとすることは、それに邪魔されているということなのです。
何かが心の外で起こっているように見えますが、それは心の波にすぎません。心の波に邪魔されなければ次第に収まっていきます。
心の雑草
目覚ましが鳴ると、皆様は目を覚まします。そんなにいい気分では無いと思います。
朝座禅をするのはそんな簡単なものではなく、自分を叱咤激励しなければなりません。
こうしたものは心の波にすぎません。座っていると次第にこの波は穏やかになり、あなたの努力そのものが、なにか微細な感覚に変わっていきます。
抜いた植物は植物の肥料になると言います。雑草を抜いて植物の近くに埋めると肥料になるのです。
座禅でも、心の波を感じても、そうした波自身があなた方を助けることがあるのです。心の波を気にかける必要はありません。むしろ心の雑草として感謝すべきです。
禅の真髄
ある経典に四種類の馬がいます。卓越した馬、優秀な馬、普通の馬、劣った馬です。
卓越した馬は騎手の意思に従って早足や並足、左右に動きます。優秀な馬は鞭が皮膚に届くか届かないかのうちに卓越した馬と同じように動きます。普通の馬は身体に鞭の痛みを感じたら走ります。劣った馬は痛みが骨の髄まで達したら走ります。
この話を聞くと、誰もが卓越した馬になりたいてましょう。
しかし、ブッダの心とともに座禅の修行をすると、最悪の馬こそが最も大事な馬だとわかります。
自分が不完全であるからこそ、道を求める心のしっかりとした基礎ができるのです。完全に正しい姿勢で座る人は禅の本当の道、禅の真髄を見つけるのには時間がかかります。
道元禅師は「将錯就錯(しょうさくしゅうさく/ しょうしゃくじゅしゃく)と言われました。これは間違いを間違いで受け継ぐ、あるいは間違い続けるという意味です。
禅の修行はまさに将錯就錯で、長い年月、間違えても間違えても、ひたむきに続けるということです。
「よい父は、よい父でない」とも言います。これは自分がよい父親と思っている人は、よい父親ではありません。
よい父になろうと専心して努力すれば、自分を最悪の父と考えていても、よい父になりえます。
合掌礼拝
座禅の後は床に伏して九拝します。このように合掌礼拝することで、私達は自分自身を明け渡します。これは自分の持っている二元的な考えを捨てましょうという意味です。
礼拝の際はあらゆるものに礼をします。例えば師が弟子に礼をし、弟子が師に礼をし、犬や猫にも礼をするのです。
すべてをあるがままに受け入れ、それぞれに尊敬の念を払います。これが本当の礼拝です。
礼拝が価値のある修行なのは、自分自身を自己中心的な人間からもっと向上させることができるからです。
正しい努力
修行で大事なのは正しい努力です。しかし、私達は多くの間違った方向の努力をしてしまいます。
修行について、あるいは修行の成果について、何か先入観や固定した考えを持ってしまうと、そこから抜け出せなくなります。
二元的な観念に巻き込まれてしまうのはあなたの修行が純粋ではないからです。純粋というのはありのまま、そのままという意味です。何かが得られると考えると、不純な修行になってしまうのです。
何も得ようとしないで修行、座禅をするというのは、修行から余分なものを取り除く努力です。余分な考えがやってきたら、それを止めます。それが努力を向ける方向です。
神は与える
私達の創造する文化的な仕事は私達に与えられたものです。しかし、すべてはもともと一つなので、実際にはすべて与えているのです。
一瞬一瞬、私達は何かを作り出しています。私達が座禅の姿勢で座るとき、私達は創造の最も基本的な活動を行なっています。
座っているときは無です。ただ座っているのです。しかし、立ち上がるときにあなたは現れます。これが創造の最初のステップになるのです。
二番目はお茶や料理を作ろうとしているとき、三番目は自分の中に何かを作ろうとしている時です。それは教育や文化、芸術であったりします。
毎日、なにか新しいことをしてみましょう。それこそが創造するに繋がります。
修行における間違い
多くの人は座禅の修行をする時、理想を追い求め、獲得すべき、あるいは達成すべき理想像やゴールを決めてしまいます。
理想を獲得するのは常に未来です。そのため、今の自分を理想のために犠牲にしてしまいます。座禅はただ座るだけです。それを毎日繰り返します。
修行が嫌になった時は、理想を獲得しようと考えてしまっています。しかし、それを警戒信号と見て感謝すべきなのです。
その時は間違いを捨て、初心の修行をまた始めるといいでしょう。
常に空であること
仏教を理解しようと望むなら、忍耐深くなければならないと言われています。
しかし、「忍耐」よりも「絶え間ない」という意味の方が良いです。絶え間ないこと、つまり、いつもここにあるということです。そこにあるのはものごとをありのままに受け取る働きです。
空(くう)の状態を理解した人には、いつも、ものごとをありのままに受け入れる可能性が広がっているでしょう。
空(くう)
私達は未来について希望を持っていると、今ここにおいて、真剣になれません。「明日やろう」などとよく言います。今日存在するものが明日も存在すると考えているのです。真剣にやらなくても約束されたことが起こると期待しているのです。
しかし、永続的に存在する確かな道はありません、一瞬一瞬、私達は自分の道を見つけなければなりません。
自分の道を作るには自分を理解することです。真の理解は空(くう)から生まれます。すべて心の部屋から出して大掃除をするのです。必要であれば戻すかもしれません。戻すときは一つ一つ戻して、必要でないものは戻さないようにします。
無を信じる
無を信じるということは絶対に必要です。つまり色や形を持たないものの存在を信じなければなりません。どのような神や教義を信じるにしても、それに執着してしまうと、非常に自己中心的になってしまいます。
見るものすべてが無から現れたものとして受け入れるように準備して、特定の色や形を持った現象は、何か理由があってそう現れているのだと知ると、完全な落ち着きを得るでしょう。
個人的な感想
上記の内容の要約を読んでいただければわかるかと思いますが、仏教についてあまり知識がない人にとっては非常に難しい内容になっています。私自身、日本人にありがちな、法事以外で宗教にかかわることがない人間なので、用語が難しく、読むのにかなり苦労しました。
そして読む以上に、本に書いてあることを実践するのは難しいです。
例えば「座禅はただ座るだけ」「すべて心の部屋から出して大掃除をする」と書いてありますが、心を無にして座るというのはどういう状態なのか想像もつきません。これは非常にシンプルな状態ですが、シンプルであることは何よりも難しいのだと感じました。
これが出来るようになるには長い修業が必要なのでしょう。
しかし実践できることもありました。それは「呼吸の動きを感じ取る」「あるがままを受け入れる」ということです。
私はイライラした時に呼吸の動きを感じながら深呼吸をし、「イライラしている自分も受け入れよう」と考えてみました。このように考えたら、少しではありましたが、気持ちが落ち着きました。
この「あるがままを受け入れる」というのは「ディズニーCEOが実践する10の原則」でも書かれていた「自然体であること(正直でありのままのあなたでいましょうという考え方)」に近いものであり、世界トップクラスのリーダーも同じような考え方をしているのだなと思いました。
また、禅の真髄の「よい父は、よい父でない」という話は、聞いてみるとその通りだと思いましたが、自分で気が付くのは難しく、学べてよかったです。
このように非常に参考になりますが、全体的に理解するのは難しく、万人におすすめできる本ではありません。
おすすめできる方は仏教に対しての知識がある方、禅とは何かを学びたいと思っている方、落ち着きたいと思っている方、ジョブズのファンの方です。このような方は楽しみながら読めるかと思います。
まとめ
以上が「禅マインド ビギナーズ・マインド」の紹介になります。
内容、用語が難しいですが、理解できれば非常に学べることが多い本です。
万人におすすめできる本仏教や禅に興味がある方にはおすすめできる本です。
残念なことは本来の定価が857円+税なのですが、値段が高騰しており、新書が3000円越えになっています。なので、購入するなら古本を買うことがおすすめです。
もしご興味のある方は古本屋で探して、ぜひ読んでいただけたらと思います。
今回は以上です。それではまた。
リラ吉